『開かせていただき光栄です』感想

 以前買っていた積読皆川博子氏の『開かせていただき光栄です』を読んだ。元々買った理由といえば装丁の絵がなんとも綺麗だったという一目惚れで、裏表紙に書かれたあらすじが面白そうだった、というくらいだ。でも本買う時ってこれというものを買いに行くのでない限り直感で買うよね。読書の勘というのか、直感で買ったものは大体面白い気がする。いや、単に雑食なだけで何読んでも大体面白いと言うかもしれない。

 

 閑話休題。舞台は18世紀のイギリス。まだ外科手術や解剖の地位が低く、公権力よりも貴族社会の謀略が大いに幅を利かせていた頃。解剖教室で解剖について教える外科医バートン先生とその弟子たち5人は屍体解剖をしているのだが、ある日妊婦の屍体を解剖していると警察からのガサ入れが入った。屍体を隠してやりおおせ、再び屍体を隠し場所である暖炉から出そうとすると、そこから他に2体の屍体も発見された。それが誰の屍体なのか、なぜ解剖部屋に隠されていたのか、その屍体は自殺によるものか他殺によるものか……。バートンら解剖教室の一味とロンドンの治安を守る治安判事ジョンやその部下がこれらの謎に挑む。みたいな。

 

 あらすじを説明するとミステリ感が強いんだけども、読んでみると言葉選びは軽妙で情景描写豊か、でも英国を舞台にするだけあって少しシニカルというのか、ウィットに富んだ面もあってあまりミステリっぽくない。作者は幻想小説も書くらしいというのを作者紹介で知ったが、納得がいった。しかし読み進めていくとやっぱり本格ミステリだなと肌に感じる。話の展開はとても複雑だし、3つの屍体の謎はどれかが解明しそうになるとやっぱりこんがらがって分からなくなる。理解できたと思ったらまだ分からない部分が残されていて、微細なそれが重要なことは分かるんだけどもどう説明したら矛盾がないのかまでは至らない。屍体に関わる生きた人間も一筋縄ではどうにもならない。解決しようと奔走する治安判事ジョン氏の苦悩が我々読者としても身に沁みて共感できるという感じだ。事件が理路整然と解決される爽快感というのは全くない。個々の屍体が一つの暖炉から見つかったというその一点から全てが始まるのだけど、どこまで読んでも一向にそれぞれの屍体の謎が繋がる気配がなく、中盤で繋がったと思えばそれが実はどうも不自然で不可解だ、というような様相である。

 また近代イギリスの医療水準や法制度、警察の制度について、当時はフランス革命前のヨーロッパだから貴族社会が蔓延っていて賄賂や不正の温床であるという点で、現代の感覚を持ちながら読むと分かりにくい所が出てくる。でも、明らかに人道に悖る行為をしている人間を現状の法では裁くことができないというこの理不尽さへの悪感情や、そこから私刑を志す者の心境といったものは、この作品から現代を生きる私に強く訴えかける部分があるなとも思う。ごく少数ながら多くをもつ者と大多数の持たない者の不和、当時のイギリスの生活風景、生きた空気、そういう情景をこんなに生き生きと、しかも緻密なミステリとして描写してみせるのが本当にすごい。当時の作家が書いたのかと思うくらい。

 あまりネタバレになると申し訳ないので詳しくは書かないが、内容や描写もさることながらそれぞれの登場人物のキャラが立っていて読んでいて面白い。ミステリだと謎を解くのがメインでそのために人が登場している感があるというようなのも少なくないと個人的には感じるのだが、この作品ではバートン先生初め5人の弟子や、事件解決に関わる治安判事ジョン氏とその部下2人はそれぞれしっかりと個性があって会話がちゃんと会話らしくなっている、人間っぽさが随所に見られる。各々がなんとも愛嬌のあるキャラクター達だ。

 

 蜘蛛の巣のような、複雑で繊細なミステリというのが全体の感想である。もしかしたら、読むのが苦手な人には、謎が解けるまでの途中の描写や話が二転三転する所がややこしく読みづらいかもしれない。しかしこんなに完成度の高い時代小説のような雰囲気に本格ミステリというのは、他の本では中々に見つからないしこの小説を特別なものにしていると思うので、ぜひ読んでみて欲しい。このブログでは単純に読んだ本の記録として感想を残しているだけで人に読書を薦めるにはあまりに稚拙だから、同書に載せられている有栖川有栖氏の書評をぜひ見て欲しい気持ちになった。続編らしい『アルモニカ・ディアボリカ』も同時に購入したので、紅茶とスコーンでも傍に置いて読みたい。食欲減退するかもしれないけど。