『死体を買う男』感想

 歌野晶午氏の『死体を買う男』という小説の読者感想。歌野氏の小説は二、三読んだことがあって、それで作者買いしたものだ。中学2年かそれくらいの時期だったろうか、『絶望ノート』を読んで大きな衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。『絶望ノート』の主人公が現代の少年だったことや他に読んだ作品も時間軸が現代のものだったことから、歌野氏が今作のような昭和の文学らしい文体でも書くということを寡聞にして知らず、まさに新たな発見という心地である。

 

 実は買った本の帯が大きいものであらすじが隠れていたので、タイトルと作者名だけで買って内容は全然知らない状態で読んだ。いきなり本の前書きから始まったがそこからもう作品なのだという所が面白い。内容としては作中作『白骨鬼』とそれを巡る現実の人間の物語という構図である。『白骨鬼』では江戸川乱歩萩原朔太郎を主人公として乱歩の出会った女装の青年の死に迫る。作中作ということを抜きにしてめちゃくちゃ面白かった。江戸川乱歩萩原朔太郎はじめ、所々に文学的素養が散りばめられていて、ミステリ好きやその分野の知識人には分かる小ネタが良い。残念ながら私にはそこまでの知識がないので元ネタに想いを馳せるくらいしかできなかったが、知っていたらもっと楽しめたのだろうなと思うと多少悔しい気持ちも湧いた。

 それは置いておいて、作中作が出てくる作品についてよく感じるのは、空想と現実との境目はどこかという疑問だ。『白骨鬼』は物語の中に生きる現実の人物の作品だが、やはり小説家が出てくると物語を書くとはどういうことかを考えさせられる。誰がどんな思い、どんな経緯でその話を書いたのか、真実はどうであるのか、その話が他者にどう受け取られるのか。『死体を買う男』は謎解きだけでなくこういったことを提示しているように思う。ただそれだけでなく、この作中作が現実の人間とどう繋がっていくのか、その点はミステリとしての面白さもある。歌野氏の作品に特徴的な何重にも重なるカラクリ、というのか展開というのか、それが作中作によって巧妙に仕掛けられていて、物語の終盤になるにつけ次々と明らかになっていくのは見ていて緊迫感とある種の気持ちよさを抱かせてくれる。

 

 一つだけ本当に自分で残念に思ったのは、歌野晶午という名前で本の購入を決断してしまったことだ。タイトルだけで買って読んでいたら、もっともっとこの作品のラストは衝撃的で心臓に響いたろうに、歌野晶午氏ならこの後は…という予想をしながら読んでしまった部分があった。読み終わった後で歌野氏らしいなと感じ納得できた所もあったので後悔はしていないんだけども、初見でこれを読んだ人の驚愕とはまた違うだろうと、それを純真に味わえなかったんじゃないかとそんな気持ちである。

 私がかつて読んで衝撃を受けた『絶望ノート』や今回のこの作品でも、歌野氏は必ず登場人物の現実、現在をとても強く意識している。彼の小説を読むといつも、ああ空想の人物でも生きているんだという実感を得る。作品では描かれない登場人物の今後、未来を、実在の人物に対してそうするかのように読者に想像させるのがあまりに上手いと思う。ミステリとしての謎やカラクリの仕込みは小説でしか有り得ないような、とても精巧に作り込まれたものであるのに、そういった物語の構造に対して登場人物は現実性を強く帯びている。歌野氏の作品は独特で面白いと思う。

 ちなみに感想を書くときは併せてあらすじも書くようにしているが、歌野氏の小説は何を書いてもネタバレになりそうでもう書かなくてもいいかなと思った。