川端康成『少年』感想

 ここ最近新学期ということで多忙だったため、本屋で気になる本を買っては全て積読にしていくばかりだ。

 ところで前にも書いたかもしれないが、私は個人的に古本よりも本屋の新品の本の方が好きだ。何となく新品の方が自分に新風を吹き込んでくれるような気がするからかもしれない。中古本も買うには買うが、そういうのは大体作者やタイトル、あらすじを既に知っていてそれでも欲しい本を安く手に入れたい場合が多い。中古屋では直感で読みたくなる本がないような感がある。ただ本屋で直感で本を選ぶには、最近はどの本にも宣伝帯やポップが付いていて、他人の感想があることにイラっとすることが多い。「衝撃の感動作!」とか「感涙必至!」みたいな内容の広告を見る度に、お前の感想は要りません泣くかどうかは私の勝手ですと言いたくなってしまう。様々な意味で他人の手垢のついていないものが良い。閑話休題

 

 今回読んだ川端康成『少年』は今まで全集でしか読めなかった作品なのだが、川端康成没後50年を記念してこの度新潮文庫が文庫で出版した。存命中での全集出版のため本人がその全集を編集しており、刊行の際に併せて収録されたのがこの『少年』である。

 この作品は、50歳の川端が旧制中学校の後輩との思い出を追想する随筆のような作品だ。肉親と早くに死別した川端は中学校の頃寄宿舎で生活していた。その寄宿舎で同室であった美少年の後輩・清野との特別な関係に思いを馳せている。いわゆる少年愛である。分かりやすく今風に言うとBL作品だが、随筆的内容であることを考えるとあまりBLという言葉は適当でない気がする。BL作品は文学以外では嗜まないので分からないが。少年愛と言っても、川端と清野との関係は肉体的なものではなくあくまで精神的連帯だ。川端本人も作中「同性愛というようなことはなかった」と述べている。

 川端はこの清野について、旧制中学校当時の日記、高等学校で作文として提出した清野への手紙、『伊豆の踊り子』の元となった大学生の頃の作品「湯ヶ島での思い出」と、何度も様々な形で綴っている。『少年』出版にあたって様々な宣伝の中で引用されている文だが、川端の清野との関係を引用したい。備忘録も兼ねて『少年』の醍醐味のような文をほとんど全部書き出すので、読んでいない人はぜひ作品を読んで欲しい。まず旧制中学校の頃の日記より。

 

 起床の鈴の少し前、小用に起きた。おののくように寒い。床に入って、清野の温い腕を取り、胸を抱き、うなじを擁する。清野も夢現のように私の頸を強く抱いて自分の顔の上にのせる。私の頬が彼の頬に重みをかけたり、私の乾いた脣が彼の額やまぶたに落ちている。私のからだが大変冷たいのが気の毒なようである。清野は時々無心に眼を開いては私の頭を抱きしめる。私はしげしげ彼の閉じたまぶたを見る。別になにも思っていようとは見えぬ。半時間もこんなありさまがつづく。私はそれだけしか求めぬ。清野ももとめてもらおうとは思っていぬ。(22頁)

 

本人もこの赤裸々加減、露骨さに当時を振り返って驚いている様子であった。次に高等学校で作文として提出した清野への手紙から。これは学校に提出した後に、流石に送れないと思った一部を除いて実際に清野へと送ったようだ。そのため川端は、手元に残った清野へ送っていない部分を書き出している。

 

 お前の指を、手を、腕を、胸を、頬を、瞼を、舌を、歯を、脚を愛着した。

 僕はお前を恋していた。お前も僕を恋していたと言ってよい。(28頁)

僕はいつともなくお前の腕や脣をゆるされていた。ゆるしたお前は純真で、親に抱かれるくらいに思っていたに相違ない。あるいは今ごろはそんなこともまるっきり忘れてしまっているのかもしれない。しかし受けた僕はお前ほど純真な心ではいなかった。(29頁)

僕の最大限度がお前に毫末も嫌悪と疑惑とをひき起こさなかった、そのお前に僕の救済の神を感じる。ああ、僕をあれほど愛してくれていたお前は、それより先きの交りを要求しても、その後までも僕を信じていてくれそうだった。お前は私の人生の新しい驚きであった。

 でも、舌や脚と肉の底との差はどれだけだろう。ただ僕の臆病が辛うじて僕を抱き止めたのではないかと自ら責められる。(30頁)

 僕の臆病と言えばそれまでだが、見方によっては奇蹟的に、なんら無理な抑制も忍耐も必要なしに、お前をよごさずにすんだ、そのお前の嬰児の魂に僕もお前自身もどれほどの感謝をささげても足りぬだろう。(33項)

 

この清野への手紙文を書いた頃川端は大体19歳から20歳だったという。後輩に対してこれだけ強く生々しい思いを語っていることへの若干の異様さを感じるとともに、文豪は若くして才覚があったのだなあという感嘆も止まらない。ちなみにこの手紙、実際には送らなかった部分も含めて大体原稿用紙30枚程度のようだ。どれだけ特別の思いがあったか窺い知れる所である。あとシンプルに、20歳にしてそれだけ語れる愛があることにも驚く。

 この手紙文に続いて、「湯ヶ島での思い出」における清野に関する文章が書き綴られている。これは川端が24歳の頃に書いた未完の作品で、後に書き直したのがかの有名な『伊豆の踊り子』、28歳の時の作品である。

 川端は足が悪く湯治のために湯ヶ島を訪れ、その後に京都嵯峨にいた清野の元に出向いている。「湯ヶ島での思い出」を執筆する2年前、川端が22歳の頃のことだ。清野は旧制中学校を卒えて以降大本教という宗教を信奉し、嵯峨にある修行所に身を寄せていた。訪れた湯ヶ島の宿に来た大本教の教祖や清野の住む嵯峨での生活について書かれている。

 川端いわく、清野は宗教家である父の影響から元々神を信じてはいたが、旧制中学校ではさらに神と川端を同一視するような様子であったという。

 

 この少年は私を離れては迷子になり、心の宿を失うであろうと、中学を去り際に私は思った。(中略)私が東京に去って時がたつにつれ、神と私とで一つの姿になっていた、その半ばが遠ざかったため、心も分裂したようであったが、残った神だけをやがて強めて行って、私のつくった空虚をみたしてゆくらしいのが、私に感じられた。(66-7頁)

 

湯ヶ島での思い出」に関する記述の後、再び内容は旧制中学校時代の日記を時系列に辿り、そして最後に清野からの手紙をいくつか書き記している。清野の手紙の描写からは、純真で信心深い彼の人柄と川端への淡い憧れが窺える。互いが特別の関係であったというのは2人にとって真実なのだろう。そしてこれほど心を砕いていた後輩と、嵯峨での再会を最後に、30年川端は会っていないという言葉でこの作品は終わる。

 

 物語の振り返りは以上として、浮かんだ感想を書き連ねたい。

 川端の清野への手紙や日記の描写には、なんとも言えない儚い生々しさを感じる。清野との身体的触れ合いの描写に生々しい感触がありつつも、いやらしい汗臭さというのか性欲の臭いがせず、ある種の清さが感じられると言えば良いだろうか。川端は清野に対して肉の思いを感じる一方で、清野の純真さに救われてもいる。清野を「僕の救済の神」「嬰児の魂」とまで言うのだから、当時の川端にとっては並々ならぬ思いであったのだろう。余談だが、こういった描写を見て友人との雑談を思い出した。いわゆる素人の書く小説は、主人公の相手役の身体描写が画一的で平坦で面白くないみたいな話をしていたのだが、学生の時分で川端はこれだけの表現力があるのかと思うと脱帽である。ちなみに私はどこぞやで見た「うぶ毛の光が頬を縁取る」と森鴎外うたかたの記』に出てくる「こなたへ振りむきたる顔は、大理石脈に熱血跳るごとく」が至高だと思う。白い頬が紅潮するのを大理石とその模様に例えるの、すごい。

 それは置いておいてこの『少年』で描かれる川端の思いは、てにをはさん作詞作曲のボカロ曲「ヴィラン」に通じるものを感じる。文脈も意味合いもおそらく違うのだが、純な清野に対して肉欲を抱きつつも臆病な心から踏み出すには至らない、そして信心深い清野に救いを求めるジレンマは「微熱愛でいいのに」という歌詞とどこか重なるような気がする。そもそも「ヴィラン」自体は同性愛・性の多様性をテーマとし江戸川乱歩に言明しているし、『少年』よりもリアルな生々しさを演出している点では異なるが。『少年』は青春時代の思い出や清野の清純さという側面も相まってある種の神聖さを醸しているように感じられる。

 どうして川端は清野に対してこれほど強い感情を感じていたのか、そしてそれにも関わらずどうして嵯峨での出来事以来二度と会わなかったのか。川端は青春を懐古する中で度々自身のアイデンティティについて言及していた。彼は肉親と若くで死別した、一般的ではないその境遇を強く意識していたようである。旧制中学校の日記で既に「性的に病的なところがあったかもしれない」と述べ、また「湯ヶ島での思い出」では「自分の心を畸形と思うのが、反って私をその畸形から逃れにくくもしていたようである」と言っている。両親や祖父と死別し、孤独を余儀なくされた川端は、寄宿舎での清野との出会いで次のように述べている。

 

清野少年と暮らした一年間は、一つの救いであった。(116頁)

 私はいっぱいに目を見張った。こんな人間がいるのかと、不思議そうに眺めた。私が生まれて初めて会った人間である。そして私が驚いた通り、全く世に二人といないと思える人間である。私はわが身に引き較べて、その人の背後に、明るい家庭の温さと賢い家人の愛とを置いてみて、自分をあわれんだ。(117頁)

 

自分とは正反対の、家庭に恵まれ、素直で純なまま育った人間から全幅の信頼と憧憬を向けられることの快さがあったのだろう。川端は「自分のすべてが彼に肯定されるという安心から自由を感じ」、「彼の前では、私がそうありたいと思う人間に自分を染め変えて、澄ましていられた」のである。少年愛と言うと独特な感はあるが、こういった経験は普遍的であり、川端が清野を特別視したことは当たり前と言えるだろう。おそらく旧制中学校で共に過ごした一年間は、清野から一番に思われているという特別さを軸として、清野に対する肉欲と神聖視の釣り合いが取れていた。この相反する二つの感情が両立することが不思議であるが。

 嵯峨の修行所で滝行をする清野を見た川端は「霊感を受け、脅威の目を見張った」のだという。

 

生まれたままの無心に近い自然の姿である。しかし確かに神々しい。私は初めて目のあたりに見る霊光とでもいうべきものに打たれて、肌寒くなった。次にぐっと反撥を覚えると、私は自分の精神に背伸びさせようとした。

 清野は前から私に帰依していたのではなかったか。しかし滝しぶきを後光とした彼の体と顔とに現れている精神の高さは私のものと比ぶべくもない。私は驚きに打たれると間もなく妬みを覚えたのである。(73-74頁)

 

これ以降、川端は清野と会っていないそうだ。文通もし互いに特別な関係であったのに、あまりにもあっけない別れである。ただそのあっけなさが現実らしさを感じさせもする。自分とは真逆な幸せで満ち足りた人間が、自分のような不幸な人間を唯一特別に思うということの充足感が川端の清野への思いの根本にあったのだろう。神と自身を同一視しなくなってしまった清野は、自身の持っていないものを全て備えており、川端にとって近づきがたい神聖さを纏う存在となってしまった。それが妬みの内実ではないだろうか。

 川端が何とも現金で我儘に見えるが、その現金さは私にとっては共感できるものだ。日記の中で赤裸々に語られる彼の虚栄心、孤独感や、金銭関係の苦労なんかを見ていると、これは自分じゃないかと思いさえする。

 

今日も朝から学校に出て何を得て来たのかと思うと、ほんとうに悲しくなる。学校の教えに異教徒のような日を送りながらも、ずるずると五年間もひきずられ、卒業間近までも来てしまった。(中略)これまでに費した金と時と労力とをもって、独り私の道を進んだなら、きっときっと何かに達し、もう少ししっかりした自己をつかんでいたに相違なかろうに。(81頁)

 

研究がしたいと言いながら無為に時間を過ごし、人生を決定するだけの度胸もなくただモラトリアムの延長で院進している私に刺さりすぎて胸がつぶれる思いである。川端に自分を投影しすぎて、50歳になったらこうやって自分のことを振り返るのかと想像すると一刻も早く死にたくなってくる。

 『少年』を読んでいて、私にも清野のような救いの存在がいてくれたらと思わないではいられない。随筆ということでバラバラの日記や手紙を一つにまとめる全体の構成や、いかにも文学らしい諸所の表現にも目を奪われた。久方ぶりに現代文の問題くらい心情とか理由とか色々考えた。『少年』読了後川端と清野に思いを馳せて約5時間、執筆している今日4月16日は、ちょうど川端康成の没後50年である。